普通の大学生が一瞬のうちに転落しネットカフェ難民になる現実を描いた映画「東京難民」。この映画は今の現実を如実に表わしている。
20代の若者が一瞬でホームレス化する現代社会
この正月は雑用などで忙しくゆっくりと映画を見ることもなかったので連休最終日の今日は久しぶりに自宅にてHuluで映画を見ることに。最近になりAmazonプライム・ビデオがスタートしたが私はHuluがお気に入り。月額933円(税抜)で約1万本以上の映画や海外テレビドラマを視聴することが可能。また、テレビだけではなくパソコンやスマートフォンなどのデバイスで視聴が可能。私はアップル社のIpodtuch(アイポッドタッチ)を所有しているがお風呂の中でHuluの映画をみることがある。最高に贅沢な時間を過ごすことができるのも特徴。
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どの映画にしようかと選んでいたら目を引くタイトルが。東京難民。映画のハイライトは下記の通りである。
21歳の時枝修は親からの仕送りで1人暮らしをしながら、時々アルバイトをしたり仲間とつるんだりとなんとなく大学生活を過ごしていた。しかしクラス担任からある日突然、学費がずっと未納であることと、そのせいですでに先月で大学を除籍になっていることを告げられる。学生課に確認すると、随分前から警告はしていたが時枝の父から本人には絶対に知らせないでほしいと口止めされていたという。わけがわからず実家に電話をするが、繋がらない。恋人の吉水綾香に金を借りて地元の北九州に帰るが、父親の職場である設計事務所にはシャッターが下りており、実家にもやはり両親の姿は無かった。代わりに小指が欠けた男2人に「お前のおやじはどこにおるんか」と詰め寄られ、修は脱兎のごとく逃げ出す。
普通に暮らしていた大学生がある日突然ホームレス化する
幼稚園から小学校、高校を経て大学に進学。子供のころから食べるものに困ったことはなくまた、危機感を感じることもなく育ってきた普通の大学生。そんな無防備な若者は数多く存在する。
この映画の主人公は21歳。親の仕送りで1人暮らしをしながら大学に通う。この子の収入源は親の仕送りのみ。このような子が転落するには簡単だ。親の仕送りが途絶えた時がその時。
私は映画評論家ではないので、あらすじなどの内容は差し控えたい。興味があればアナタ自身で見て頂きたい。この映画は今の私が考えるに見る価値がある映画だ。
敷金ゼロ、礼金ゼロの賃貸物件は賃借人の居住権もゼロ
ゼロゼロ物件(ゼロゼロぶっけん)は日本の住宅事情のひとつ。敷金と礼金の支払いを必要としない不動産賃貸物件の通称である。
表向き甘い条件で入居人を巧みに誘う。しかしながら現代社会はサバイバル。甘い話には決まって罠がある。この場合の入居は賃借権ではなく使用権だ。「鍵の一時的使用」という契約内容を名目に、1日滞納しただけで強制的に鍵を交換し、「鍵の出張交換料」の名目で高額な違約金を取り立てているケースがほとんど。この映画の主人公も契約時に全く思考せず契約したのだろう。映画の中でも家賃(使用料)の滞納をカワキリに即日でカギを交換されている。私は幼少期からサバイバルで生きてきたので安易に人や会社を信用しないが故にこのような罠にかかったことはない。
私は基本的に人を信用しない。
そもそも信用と信頼とは全く違った意味を持つ。信用は人を信じて用いる。つまり利用することが目的なのだ。対照的に信頼とは信じて頼ることになる。よく聞く話で「この人を信用したのに騙された」というフレーズがあるが、私は自業自得だと思う。
人は信用するのではなく信頼するべきであり、その際の与信は徹底的に行い心の底から信じられる人だけと付き合うことが許される。
しかし、ここで考えなければならないことがある。信頼した以上、その人が原因で発生しうる全ての事象の責任は信頼した側にあるのであって相手にあるのではないということだ。
ここを理解できなければ現代社会のサバイバルを生き抜いていくことは大変困難だと言わざるを得ない。
「世の中が悪い」
「会社が悪い」
「〇○さんが悪い」
頻繁に聞くことがある会話だと思うが、この会話に何の価値も意味もない。
全ては自分自身の責任であり、他者の責任ではない。それだけ現代社会は誰と付き合うか、どのような会社と取引するか、どんなビジネスをするのかを真剣に命を懸けて判断しなければ一瞬で転落することになる。サラリーマンの多くは、そのような決断を迫られることなど頻繁には無いと思う。しかしながら、今後は少なからず決断を迫られる場面に遭遇することになると私は考える。
仕組みとは強者の仕組みであり決して弱者の都合の良い仕組みではない
昨年末、私のお店がある地域でトップクラスの不動産会社の経営者が来店した。その際に、とても興味深いことを言っていた。
「信用性の無い人物が部屋を借りるとき1年分の家賃を振り込むから与信はやめてくれというんだよな。」
私はその話を聞いた時「あぁ、なるほど」と腑に落ちた。なにも信用が無い人物の全てがカネが無いわけではない。当座の現金はあるけれども連帯保証人や住民票が無い人も存在する。家主や管理会社のリスクは家賃滞納。なので、そのような人たちは家賃をまとめて支払うと言い入居を実現させようとする。
この映画では、仕送りの大学生が住んでいるマンションを失い、「仕送り」という唯一の収入源を失い、ネット難民からホストを経て日雇い労働者としての「土工」を経て多摩川でホームレスをするに至る話を見ることができる。
現代社会は全てがカネ。カネが無い人は生きる価値もないと言われてしまう
この映画で私が再認識させられたことは、まさにカネである。両親の生活費と医療費を賄うために26歳でトラック運転手から独立して早くも15年あまり。私の人生の大半はカネ、カネ、カネである。
あなたは小学生の時に授業で読んだ「道徳」の教科書の内容を憶えているだろうか。私は小学生の時に最も好きな授業は道徳であり、時たま授業中に教室に据え付けられたテレビで教育テレビの道徳番組を見て「あぁ、その通りだ。」と納得していた。
しかし現実は違う。
いや、かなり違う。
私が歩んできた人生はカネが全て。どれだけセンスが良かろうが、どれだけ人間性が良かろうが、全てはカネが無ければただのバカである。これは現実でありバーチャルの世界ではない。私が味わってきたほんの少しの不条理でさえ何故生きているのかを考えさせられるに十分な要件を満たしている。
脇の甘さは死を呼んでくる
この映画で印象的だったのは主人公の修くんや修くんを取り巻く人たちの「脇の甘さ」だ。今現在「私はサバイバルだ」という認識が甘い人ほど加速度的に地獄に堕ちて行く。そんな一般庶民の人たちをこの映画は非常にうまく表現している。
この映画で例えるならば、主人公の修くんが治験のバイトで稼いだお金(15万程度)を手にして脇が甘くなりホストクラブにはまっている女の子に騙される場面である。
このシーンを見ながら「私ならば絶対に無い」と感じた。零細企業を2社ほど経営し、週末起業と称してたこ焼き屋までやっている今の立場でも彼のように無防備になることはないだろう。
それは幼少期から幾度となく痛い目にあってきた私の野性的な感性に他ならない。
しかし最後は人の心が大切
この映画の最後は割愛したいが、やはり最後は人間としての良心であり心である。私の知人で今は亡き日本では知らない人がいないくらい超有名な経営者の親族と知り合いの社長がいる。その社長が故人の社長室に入った時に掲げてあった書の内容を私に教えてくれたことがある。そこに書いてあった内容は
「友達は情であり、商売は非情」
経営者としてではなく哲学者とも言われる彼の格言が商売は非情だということなのだ。
しかしながら、私個人としては人の心というものが最重要であり大切であることを頭だけではなく腹の底から理解して実感していると自負している。
人によると「だから社長は大成しない」と言われることもある。でも、でも。
人間の一生とは極めて短い時間であり、魂の修行の場として認識している私としてはカネの重要さを十二分に理解している上で、あえて心としたい。
商売とは人の役に立つことが前提であり、人を不幸にする商売は詐欺である。
カネを稼ぐにしても儲けるにしても大前提は「人の役にたつこと」これが本道。これを忘れてカネの亡者になることも良いけれど時間軸で考えたら長続きしない。
カネを儲けながら「ココロ静かに暮らす」ためにはバランスが必要であり極端に偏った方向に突き進めば自ずと反動がやってくる。
江戸自体の商人はコメの先物取引において明らかに自分が儲かると判断したら前もって餅や小銭を庶民に配ったそうである。それは善意ではなく自己防衛。極端に得をすると同じだけの損がやってくるのを知っていたからだ。プラスがあればマイナスもある。その大宇宙の法則を江戸時代の商人は理解していたのである。
この正月は雑用等で忙しくさせて頂いたが最後にとても良い映画と出会う機会があったことに感謝。あなたにも是非とも見てもらいたい映画です。
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